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 今週のコラム  

「"教育”としての『歴史の授業』 小林 弘治

 「歴史教育とは」、と問われて、私たちは答えられるだろうか。“歴史指導”だけをもって“歴史教育”と錯覚してはならない。あくまでも“指導”は教育する側の一方法論である。大切なことは、社会科教師が自ら教育専門職としての独自の“歴史教育観”を持ち合わせていることである。当たり前のことであるが、“教育観”を持たぬ者に“教育”などできようはずはない。

 社会科教師は、“社会科教育・歴史教育”ができるよう覚悟を持たねばならぬ。ここにいう覚悟とは、文化史を授業する際であれば、自分の文化史観を持つということである。生徒に何を伝えたいか、これを伝えることで生徒の現在の意識に葛藤を与えられるか、人格形成に資することできるかということを真剣に考え準備することである。
   
「その教師が行う“教育”」である以上、その教師の歴史観こそが大切である。もとよりその歴史観とは、決して独りよがりであってはならない。十分に社会的に訓練された個性を持って生徒に対峙できうる歴史観が必要であり大切なこととなる。大いに教師個性を発揮した授業づくりをしていくことである。ただし、教師にとっても「個性的な」とは、十分に社会的訓練を経た、即ち十分な教材研究のもとに認められる個性でなくてはならないことは言うまでもない。「社会的訓練なき個性は野性」というものである。

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