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 今週のコラム  

 

第33回 SNS使えない老人が近頃思うこと~ASDGsブーム~ 石井成二

カタカナ・欧文の好きな人が多くて、年寄りには困る事が多いのです。ゼロカーボンだの再生可能エネルギーだのと言いながら、並木や棚田のイルミネーションなど無駄を垂れ流している様に思えてなりません。
 京都の竜安寺には「吾 唯 足 知」を組み合わせた知足の蹲踞(つくばい)があります。一切の無駄を省いた修行の到達点が、汚れを清める蹲踞に表現されているのだと思いますが、俗人たる私には到ることの出来ない境地であります。
      
 
 子供時代には様々な無駄が必要だと思います。遊びや玩具そして憧れの対象が成長の糧になることは否めません。無駄も無駄ではないのです。
 しかし、大人の無意識による無駄はいけません。地球温暖化がもたらす危機に対して、かなり以前より警鐘が発せられていたのに、時間を無駄にした大人の責任は重大です。化石燃料の使用削減、再生可能エネルギーの開発を進めることは理解できますが、既得権益をもつ人にとっては重大な問題となるでしょう。
教育の現場ではどんなふうに子供たちを導くのでしょうか。過去の歴史を見れば、その時のバイアスに流されることは危険です。先々を予見し準備と余裕を見ておく事が大人の知見ではないでしょうか。
 車の運転は微積分の応用だと聞いた事があります。到達点を予測しハンドルやアクセル、ブレーキを操り目的地に到達させるまでに無意識に微調整している脳みそは、微積分を繰り返しているそうです。政治や教育に携わる方々にお願いです、先を読み到達地点までのアプローチを微積分計算して下さい。
 子供たちの未来に本当に必要なことは何なのか、私たちが為さなければならないのは何なのか、年寄りは本当に心配しています。
 

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